感動を売れる人になりたい
少し前に、「つぼ焼きカレー屋にいったらおいしくて感動した!」て記事を書いたんだけれども、そのときにつくづく思った。
僕も、「人に感動を与えられる」人間になりたいと。
apple製品が世界中で売れているのは
感動を与えているからだ。
ただのスペック・UI以上に、感動的な世界観を販売しているからだ。
僕が先日のカレー屋に、思わず二度行ってしまったのは、あのカレー屋の味に感動したからだ。
あまりのおいしさに、心から感銘を受けたからだ。
正直、あのカレーを食べた日の夜は、もう一度あのカレーが食べたくて食べたくて食べたくて仕方なくて、そのことが頭から離れなかった。
まるで恋をしているような気分だった。
あの女性にまた会いたい。
あの女性ともっと親しくなりたい。
あの女性のことをもっと知りたい。
それにも近い感情を、たかがカレーに私は抱いてしまった。
それほどに、素晴らしいカレーだった。
まさに「恋い焦がれる味」だった。
その時に、ふと思った。
同じことを、今の自分の仕事でも体現できないかと。
今の僕はタロット占い屋をしている。
タロット占いを行い、その結果を人に伝えることでお金を得ている。
このとき、もっと感動を与えられるようになりたいなと。
お客さんに「良かった」と思ってもらえるなんて当たり前のことであって、そこで満足しているようじゃまだまだ足りない。
「良かった」と思ってもらえると同時に、さらに「強い感動」を与えられる、そんな占い屋にならなければいけないと思うんだ。
この道で、これからも生きていくのであれば。
その昔、鉄鍋のジャンというマンガがあった。
この作中で、
「(料理人が)うまいものを出すのは当たり前」
「重要なのは、その料理の中にその料理人の思想をどれだけ体現できるかなのだ」
みたいなセリフがあった。
これと同じ理屈で、
「料理人がうまいものを出すのは当たり前」
「占い屋が良かったと思ってもらえるのは当たり前」
しかし本当の一流になりたければ、それ以上の「思想」を商品に体現し、人を感動させなければいけないんじゃないんだと思う。
でなければ、日々生まれ続ける同業者達の中に埋もれ、いつかは消えていってしまうだろう。
そして人に感動を与え続けるためには、いつでも自身を向上させ続けなければいけない。
それはけして楽な道ではないだろう。
だが本当に好きなことなら、それほどの苦には感じないはずだ。
一流になるとはきっと、こういうことなんだと思うんだ。