科学者が放射能騒動に関わらなかった理由を読んで思ったこと
科学者が放射能騒動に関わらなかった理由
http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/66459413.html
内容をかいつまむと……
3.11大地震で福島原発の放射能問題が起きたとき、科学者の多くは放射能問題にまともに関わることを辞めた。
何故なら、まともに関わろうとすると「テレビで言ってるほど危険な状態ではねぇよ?」ってことを言わなきゃいけなくなるのだが、そういうことを言うと世間からパッシングされるからだ。
私自身もブログ記事に書いたように父や叔父(物理学者)に罵られ、長年お付き合いのあった同業者からもブログに「科学者としての適性に問題がある」といったニュアンスを含むコメントをしつこく入れられて、結構堪えました。
学会で学生時代からお世話になっていた某教授に「健康被害が起きるに決まっている」と言われ、ひるまず議論をして相手もやや納得して戴いたこともあります。
このように、放射能騒動に関わってもデメリットの方が大きいので、同業者の多くは学会などで「あの放射線量で健康被害が起きるとは考えにくいよね」などと言いながら関わりを避けてきました。
NHKのデマ番組もそうですが「危険だと煽って間違っていても責任は取らなくて良い」という間違った感覚が、無駄なエセ正義を増幅させているんですよね。
元サイトより引用
この記事を見てたら、スタンダード反社会学のこの一文を思い出した
悲観主義者というのは、ひきょうなんです。悪いことが起こるぞぉ、さあ困った大変だ、と警鐘を鳴らしておけば、もし実際に悪い結果になった場合、「ホラ、いわんこっちゃない」と自分の先見の明を鼻にかけることができます。予想に反してよい結果に落ち着いたら、「いやあ、杞憂だったねえ。でもまあ、備えあれば憂いなしともいうでしょ。私の警告もムダではなかったよね」と前向き思考でちゃっかりと喜びを分かちあおうとします。どっちに転んでも自分が傷つくことはありません。
ところが楽観主義者は、そうはいきません。良い結果になればみんな喜んでくれるのですが、もしも悪い結果が出た場合、ウソつき呼ばわりされ、クソミソに叩かれます。つまり、楽観主義者は自分の意見に責任を負わざるをえないのですが、悲観主義者は常に逃げ道を確保しているズルい人たちなのです。フリーターもパラサイトシングルもひきこもりも不登校もみんないいじゃんと発言する私は、しばしば無責任だと非難されます。しかし私は自説のよりどころとなる資料やデータを示しています。本当に無責任なのは、根拠もなしに悲観論をたれ流す人たちのほうです。腹立たしいので、超悲観主義者をスーパーペシミスト、略してスーペーと呼んで蔑んでやることに決めました。
http://pmazzarino.web.fc2.com/lesson17.html
スタンダード反社会学 第17回 スーペー少子化論争 ~PART1・スーペーさんが語る少子化の神話~ より引用
スタンダード反社会学なんて古いサイトを未だにご存知の方はいるでしょうか。
そう、テキストサイトの時代に学問とお笑いの融合というかなり尖ったコンセプトで運営されていたサイトです(笑) なつかしい。
このサイトの作者のパオロ・マッツァリーノ氏は、今もまだブログと書籍の執筆活動はされてるみたいです。
反社会学講座ブログ
http://pmazzarino.blog.fc2.com/
とりあえずまとめると
この世の中は、正しいことよりも、人々の恐怖を煽るようなデマの方が「言いやすい」世の中になっている。正しいことを言ってる人の方が、だいたい辛い思いをする。
悲しいことだが、それが現実のようだ。
これを是正していくためにはどうしたらいいんだろう?
人々がもっと、情報を吟味する姿勢を持つようになればいいのかな? 無責任なデマを見抜けるようになって、そういうことを言う人はみんなから相手にされなくなるようになればいいのかな? でもそれは現実的ではないか……。
うーん、わかんない。答えがまとまらなかったや。すいません。いずれまとまったら、また書きます。