自分の罪を隠すために同じ部活の子を使ったり、男の子を使ったりする自分が本当に嫌いです。
人生を複雑にしているのは、いつだって自分自身なんだよな。
お悩み掲示板でこんなやりとりがあったよ。
質問
私は中学生で、転校生です、私には友達と呼べる友達はおらず、つい隣の男の子の噂を流してしまいました、、、誰から聞いたのと言われ、聞いてもないのに同じ部活の子から聞いたと言ってしまいました、、、、男の子には謝ったのですが、表面上は許してくれました。同じ部活の子は泣いてしまって、クラスも違うのでまだなにも言っていません。
私の罪を隠すために同じ部活の子を使ったり、男の子を使ったりする自分が大嫌いです、、、明日から学校ですがどう対応すればいいかわかりません、、。家も学校もいればいるほど辛いです、、、死にたくなる位です、、、、
回答
自分がやったことだからちゃんと対応しないとね。
ほんとそれ!
自分の罪を隠すために同じ部活の子を使ったり、男の子を使ったりする自分が本当に嫌いなら、さっさとそんな自分は辞めればいいだけ。
あとは、すでにしてしまったことに関しては、しっかりと謝罪すればいいだけ。
どう対応すればいいっていうけど、どう対応すればいいかなんて明白なんだよ。
ただその明白な答えを受け入れる勇気がないだけ。
人生が困難なのではない。
あなたが人生を困難にしているのだ。
人生は、きわめてシンプルである
「人生が辛く、苦しい」のではありません。
あなたが、自分の手でわざわざ「人生を辛く苦しいものにしている」のです。
アドラーは、それをこのように例えました。
「高さが5フィート(約1・5メートル)しかない戸口を通り抜ける方法には2つある。一つはまっすぐ歩くことであり、二つ目は背中を曲げることです。最初の方法を試せば、横木にぶつかるだけです」と。
つまり「人生が辛く、苦しい」と感じている人は、低い戸口に対してまっすぐ進み、頭をぶつけているだけのこと。
事前に背中を曲げれば何も問題はないのです。
しかし、多くの人は低い戸口が「原因」であり、自分は悪くない、と言います。
そうではありません。
腰を曲げない自分が悪いだけなのです。
by「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」より