青二才さんが稼げない理由

青二才さん。青二才さん。

今ね、ふと思い出したんだよ。

そして気付いたことがある。

 

先日、ブロガー新年会にいったとき、今日はこれを証明しようの人が以下のようなことを言ったね。

 

「僕は正直、お金を稼げないならブログを更新することはないと思う」

「僕はやっぱり何よりもお金がモチベーションですね」

具体的には忘れたけど、確かそんな趣旨のことを話していた。

 

これを聞いたとき、僕と青二才さんでその評価が違っていたのを覚えているかい?

 

僕はこの言葉から、彼をこう評価した。

  • 「彼はのびしろが少なそうだ」
  • 「少なくとも、イケハヤクラスにはなれなそうだ」

 

しかし青二才さんはこう評価していた。

  • 彼は稼ぐ男になりそうだ
  • これからもっともっと稼げそうだ

 

この評価の違い。

どうして生まれたと思う?

それは、僕と青二才さんの間で、「稼げる人間の定義」が違うからだ。

ではどう違うのか?

 

おそらく青二才さんは、こう考えているんじゃないかな?

  • 稼げる人間とは、稼ぐ意欲がある人間である。
  • 稼げない人間とは、稼ごうとしていない人間である。

そしてあなたのこの世界観の中では、やぎろぐの人や、イケハヤ先生、そして証明しようの人らへんは、前者の「稼ぐ意欲がある人間」なのかもしれない。

そして自分自身は、後者のつもりなのかな?

 

  • 自分は稼ごうとしていない。
  • 自分はお金を稼ぐことそのものより、ネットをおもしろくすることに情熱を傾けてきた人間。
  • だから今の自分は稼げていない。それだけだ。

みたいなことを思ってるんじゃないかな?

 

うん、もしそうならハッキリ言おう。

それは違う。

むしろだよ。

 

僕は「稼げる人間」の定義を、以下のように考えているよ。

  • 稼げる人間とは、例えそれがお金にならなくても「したい!」と思える何か、頑張ろうとしなくても勝手に努力が継続できてしまうほど好きな何か、を見つけることができた人。
  • 稼げない人間とは、自分が情熱を感じる何かを見出せていない人

これ、綺麗に青二才さんの認識と真逆なのわかる?

 

イケハヤが稼げるようになったのは何故か?

それは彼の商才やセンスもあったのかもしれない。

だが圧倒的なのは、やはり「好き」という情熱なんだよ。

 

イケハヤ先生はなんのかんのいって、「高知を面白くしたい」「労働者が組織に縛られない社会にしたい」などのビジョンがある。

そのビジョンの是非は人によって評価が分かれるところかもしれないが、彼が上記のような活動に熱意を発揮していることは確かだ。

そういう情熱があるから、ブログを更新し続けることができる。

また彼の語る言葉に共感する人達が現れる。

だから彼は今、「稼げる人」になったんだよ。

 

そもそも、イケハヤがもし本気でお金のことが何よりも大事だと考えているなら、彼はきっとブロガーではなくアフィリエイターになっていただろうさ。

しかし実際には、イケハヤはアフィリエイターにはならず、ブロガーであることを選んだ。

彼にとって、ブログで情報発信を行うという行為は、それだけ情熱を感じれる何かだったのさ。

 

いいかい?

もう一度言うね。

 

  • お金を稼げる人間とは、情熱を傾けれる何かを見つけることができた人間。
  • お金を稼げない人間とは、それをまだ見つけられていない人間

なんだよ

 

これはつまり、どういうことかわかるかい?

青二才さんは自分のことを「お金にならなくてもインターネットをおもしろくすることに情熱を傾けてきた人間」だと評価しているが、それ違うんだよ。

逆なんだよ。

あなたが今お金を稼げていないということは、あなたはまだ「自分が本気で情熱をかけたいと思える何か」を見つけることができていないんだよ。

だから今、稼げていないんだよ。

 

少し話は変わるけど、やぎろぐの人は30万稼いでると言っていたね。

すごいね。

でも単月で30万円の収益を出すだけなら、そんなの誰だってちょっと継続していればいつかはできるものだ。

問題は、それをどう継続させるか?のほうだよね。

単月で30万出すだけだったら、そんなの全然たいしたことない。

重要なのはその30万という収益を、5年10年と継続していくこと、それをさらに50万100万と伸ばしていくことのほうだ。

 

で、そういう長いスパンで物事を見たとき、「情熱のない人間」はダメなんだよ。

お金そのものにしか価値を見出せない人間は、どこかでモチベーションの供給源が切れる。

それで終わる。

消えていくというわけだ。

 

僕はこういう前提で、ブロガー新年会のトークセッションを聞いていたわけなのね。

だから、証明しようの人が「俺はお金が稼げないなら正直やらないっすわー」と語り、それに対してやぎろぐの人が「僕はブログ書く行為自体がけっこう好きっすねー」みたいなことを語っていたとき、「証明しようの人はのびしろが少なそうだ」と感じたわけなのね。

 

もちろん、彼らはまだ若者なのでこれからどうなるかわからないけどね。

証明しようの人も、いつしかお金以外の価値を感じられる何かを見つけるかもしれない。

そうなったときは、伸び代がさらに伸びていくかもしれない。

まぁそれは彼らの今後に期待しましょう。

 

でだ、そう、青二才さん。

あなただよ。

あなたはね、「情熱をまだ発揮できていない人」なんだよ。

そこの前提を間違えちゃいけない。

 

自分のことを「清貧ながらも情熱をもとに頑張ってきた人間?」とか思っちゃいけない。

だって実際、稼げてないんだから。

 

あなたは情熱がない人間だったんだよ。

だから稼げてないんだよ。

まずその事実をしっかり受け止めましょうよって。

 

でもそれは何も傷つくことじゃないよ。

へこむことでもない。

むしろ、あなたの可能性はまだこれからということだ。

 

あなたはこれからもっともっと、自分が本当に情熱を傾けれる何かを見出すべき段階の人なのだよ。

だからまずは、自分もっともっと情熱を傾けれる何かを探しなさい。

見つけなさい。

話はそれからだ。

 

そういうのを見つけるためにはどうすればいいか。

うん、とりあえず色々かたっぱしからチャレンジすることだと思うよ。

そして失敗を恐れないことだよ。

失敗を恐れずなんでもいいからチャレンジする。

それを繰り返していくと、少しずつ「自分」という人間が楽しめることが何なのか、楽しめないことは何なのか、みたいなのが見えてくる。

 

そういう意味でいうと、あなたこないだメルマガを始めたじゃない?

あれはよかったね。

うんうん、そうやってどんどん新しいことにチャレンジしていこう。

 

www.mag2.com

 

でもメルマガを始める前に、びっくりするくらい情けない言い訳エントリーを書いてたね?

tm2501.hatenablog.com

 

緊張のあまり「失敗して楽になりたい!失敗しろ!!」と自分に言い聞かせたこと、ない? - かくいう私も青二才でね

体調を悪くするほど緊張した時こそ、チャンスだから一回でキッチリとやりたい所。諦めたり、辞めたり、妥協すると、それだけ得るものが小さくなって、次も辛いことをせざるを得ない状態になるから1度目にがんばる!

2016/01/04 00:27

b.hatena.ne.jp

 

だー!

こういうのがあかんねん。

 

そうやって「1回できっちりやりたい」とか言ってる時点で、それは失敗した自分を許さない思考してるよね?

それじゃダメなんだよ。

 

もっと大きくならんかい。

失敗したとしても、それを許せるくらいの度量の大きい自分にならんかい。

器が小さい!

 

いいか?

新しいチャレンジを1回やったくらいで、いきなり逆転ホームランになるようなことはないのよ。

新しいチャレンジを100回やる。

すると、そのうちの97回は失敗に終わるんだ。

だけど残り3回くらいに、可能性を感じる何かを見出せるんだ。

人生はその繰り返しなんだよ。

97回の失敗して、3回の可能性を感じて、そこからさらにまた100回の挑戦をする。

ずっとその繰り返し。

失敗しないで成功したやつなんていないのね。

エジソンだって電球発明している陰では、霊界通信機とか作ろうとして失敗してるのね。

イケハヤ先生だってメルマガやって失敗してるのね。

 

みんな、そういう失敗を何回も乗り越えたからこそ、成功してるのね。

だのにあなたはたった1回の失敗にどぎまぎして、それで成功を掴もうなんておこがましい話なのね。

 

あかん話がそれてきたからもうこれでいいや。

とりあえず、青二才さんの「俺は金を稼ごうとしてないから稼げてないだけだ」という認識に一言物申したくなったのでこれを書いた。

 

おしまいいいいい

 

追記

id:chuunenh さんへ

ちょうどそれについて、「僕がプロブロガーは諦めた経緯」について、今日タロットブログのほうでちょこっと書いたところだよ笑

 

www.dshocker.com