苦しくて辛くて「誰かに助けてほしい」と思ったらするべきこと
誤解されそうなので、まず初めに申し上げておきます。
これは、奇麗ごとちっくな話ではありません。
もっと薄汚い、ただの打算の話です。
今日、ふとこんな言葉を思い出しました。
人にして欲しいことばっかりなんだ。
人にやってあげたい事なんて何一つ思い浮かばないくせに。
2004年に、19歳で芥川賞を受賞した小説家、綿矢りささんの「蹴りたい背中」という作品に出てくる一文です。
なつかしい。
私は彼女の著作を読んだことがありません。
しかし、何年か前にネットで偶然見つけたこの言葉だけが、妙に印象に残ってしまいました。
きっと、私の中のダメな一面を、的確に指摘していたんだと思います。
図星すぎて、心に刻まれてしまった的なね。
生きていれば、苦しい時ってありますね。
で、そういう時、人はだいたいこう思ってしまいます。
「私がこんなに苦しい思いをしているのに、どうして誰も助けてくれないの?」
……身に覚えがある人はいましたか?
もしいたなら、そんなあなたに質問です。
「じゃあ、あなたは
あなたの近くの誰かが【苦しい思い】をしていると知ったら、
それを助けようと思いましたか?」
……きっと、答えはNOでしょう。
自分のことで精一杯なあなたは、人を助けることなんか、考えたこともなかったはずです。
ならあなたが、「誰かに助けてもらえない理由」も、明白ですね。
基本的に人は、自分のことで精一杯です。
誰かを助ける余裕のある人なんて滅多にいません。
あなたが苦しいのと同じように、皆も苦しいんです。
幸せそうに見えるあの人だって、きっと貴方が知らないだけで、何かが苦しい。
だから、あなたを助けてあげる余裕なんてありません。
あなたが「誰かを救おう」なんて思ったことも無かったのと同じように、
あなたのまわりの皆だって、あなたを救うことなんて考えたこともないんです。
そんな余裕は無いんです。
では、「救われたい人」は諦めるしかないの?
そうではありません。
たった一つ、シンプルな解決策があります。
救われたい人は、
誰かを救えばいいのです。
そうすればその誰かは、貴方に救われた分だけ、少しだけ余裕ができます。
その余裕が、いつかあなたを救ってくれることに繋がります。
もちろん、必ずそうなるとは限りません。
もしかしたら、あなたが一方的に救ってあげただけで、向こうは何もしてくれないかもしれません。
あるいは、恩を仇で返してくる人もいるかもしれません。
でもそれでも、何もしないよりは遥かにマシです。
少なくとも、「私を助けて下さい」と嘆いて回るよりは、よっぽど現実的です。
誰かに救われたくて仕方ない人は、今すぐ自分以外の誰かを助けましょう。
人助けをしましょう。
その積み重ねが、いつか必ずあなたを救ってくれます。
こういうことを言うと
「そんなの奇麗ごとだ」と思う人もいるかもしれません。
ですが、そうではありません。
これはそんな上品な話ではなく、もっと打算的で薄汚い話です。
実際問題あなただって、誰かに優しくしてもらえた時は、それなりに気分が良くなるでしょ?
そして気分が良くなった時は、心に余裕もできて、「少しくらいなら他人に親切にしても良いかな」と思うでしょ?
これは、人間なんてその程度の「わりと単純な生き物だ」というだけの話です。
だから、その習性を利用しなさいという話です。
けして、隣人愛の大切さを説くような、ご立派な話ではありません。
打算というと今度は偽善のように聞こえるかもしれませんが、その結果として誰かが救われ、あなたも救われるなら、それは別に悪いことではないじゃないですか。
もし君が愛されようと思うなら、
まず君が人を愛しなさい