「ドラえもんの道具が一つだけ貰えるなら?」「四次元ポケット!」「ちょっと待てっっっ!!!!」
「もしドラえもんの道具が一つだけ貰えるなら、何が欲しい?」
と尋ねられた時、「どこでもドア」でも「タケコプター」でも「タイムマシーン」でも「もしもボックス」でも無く、「四次元ポケット!」と回答する者が稀にいる。
そしてそういう者は、ドヤ顔でこう続けるのだ。
「だって四次元ポケットを貰えば、一つだけじゃなくて全部の道具が手に入るじゃん!」と。
まるで三つの願いを叶えてくれるランプの魔神に「なら一つ目の願いは、私の願いを永遠に叶え続けてくれだ」と回答したかのようなベストアンサーを発見したつもりで、本人はいるのかもしれない。
だが残念なことに、それは間違いだ。
断言しよう、大きな間違いだ。
根本的に誤解しているようだが、四次元ポケットとは四次元空間にあらゆる品物を収納できるというだけの、ただの収納道具である。
この道具の中に、ドラえもんは様々な未来の道具を格納しているだけであって、四次元ポケットを貰えば、それ以外の道具も全てセットでついてくるわけではない。
「四次元ポケットを貰う」ということは、中身の何も入っていない、ただの四次元ポケットを貰うということなのだ。
まぁ、部屋の整理には便利かもしれない。
だが、それだけのことである。
あなたが大金持ちで、とにかく家に物が溢れていて置き場所に困っているなら役立つだろうが、そうでないなら何の意味も無い。
よっぽど、どこでもドアでも貰った方が有意義である。
まとめよう。
この思考実験によって得られる結論は、「基礎的な知識の不足している者が欲だけかくと、あまり良い結果を導かない」ということである。
冒頭に紹介した人物が、もしドラえもんに関する正確な知識を有していれば、「四次元ポケットを願う」等という愚行を犯すことは無かったはずだ。
だが、彼はそれを知らなかった。
故に、この愚行を犯した。
知識が無ければ、判断ができない。
判断ができなければ、良い結果を得られない。
やはり人は、死ぬまで新たな知識を求め、学び続けなければいけないのだ。
その努力を怠ってはいけないのだ。
そうでなければ、己の誤った認識の中で過大評価された「四次元ポケット」を願ってしまうのだ。
初代ドイツ帝国宰相である、オットー・フォン・ビスマルクはこう言った。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」
学び続けることを止めた者は、自信の矮小な経験を絶対であると妄信する。
そして愚かな判断を繰り返す。
こうならぬためにも、人は死ぬまで学び続けなければいけないのである。