自分がいなくなることが恐ろしくて仕方ない病理
まつたけ (id:denpanohikari) さんというブロガーさんがいる。
かなり情緒不安定っぽい感じが他人ごとに思えなくて、気になってるブロガーさんだ。
で、その人が以前こんなエントリーを書いていた。
これを見て思いだしたのだが、私はこの逆パターンだ。
私は、「自分がいなくなることが恐ろしくて仕方ない」という病理を抱いている。
人はいつか死ぬ。
それは子供でもわかる、この世の絶対法則だ。
だが私は、このことが死ぬほど恐ろしい。
最近はあまり考えないようにしている。
無理にでも考えないように。
そうでないと、発狂してしまいそうだからだ。
人はいつか死ぬ。
そんなことは、誰もが理解し受け入れている、どうにもならない事実だ。
でも私は、このことが怖い。
本当に怖い。
戦慄すらしそうになる。
あぁダメだ、今この文章を書いていても手が震えてきた。
何故、皆もっと死を恐れないのだろう?
何故、皆はこれを思って狂いそうにならないのだろう?
怖くないのか?
お前達は、恐ろしくないのか?
私は死が怖い。
いや、より正確に言うと、「私という人間の消滅」が恐ろしい。
「人は死んでも、誰かの記憶には残る」という考え方がある。
例え肉体的には死んでも、家族や友人、みんなの記憶の中で、その人の思いは生き続けるというわけだ。
でも、その家族や友人だっていつかは死ぬじゃん?
300年後、私という人間が存在していた証は、どこにどう残るんですか?
……私はそう思ってしまう。
私は300年前の名も知らない平民の人生など知らない。
歴史に名を残したわけでもない一般人が、どんな人生を歩み、どのように死んで行ったかなんて知らない。
むしろ名前すら知らない。
いずれは私も、そうなるのだ。
誰にも記憶されず、誰にも知られず、私がこの世に存在していたという証の全てが消滅する。
私という存在は、最初から居なかったも同然の存在になり果てるのだ。
私はそのことが恐ろしくて仕方ない。
いや、恐ろしいなんてもんじゃない。
恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて、本当に発狂しそうになるのだ。
いまこのエントリーを書けているのは、やや寝ぼけ眼で、頭がはっきりとしていないからだ。
おそらく、平常時は書けない。
怖くて書けない。
この事実から目を背けたくて書けない。
あぁ、寝ぼけていて本当に良かった。
以上、とくに落ちは無い。
まつたけ (id:denpanohikari) さんのエントリーを見ていたら触発されて、なんとなく書いた。
それだけだ。
あと、もしこの記事に共感してくれる方がいるようなら、成田良悟のBACCANOシリーズを読んでみてもらいたい。
ラノベなのに全くラノベ臭の無い、なかなか読み応えのある作品だ。
この作者とは、根底に抱いている風景が、なんとなく同じものを感じる。
不死の酒、不死者、
「自分は死なないと思っている腑抜けた奴を殺すのが好き」な殺人狂、
物語にちりばめられている様々なオブジェクトの一つ一つが、どうにもシンパシーを感じてならないのだ。