人を憎むのは、恐れているからだ
おばちゃんが冷たかった。悲しかった。
いま、食材を買うために買い物に出た。
その帰り、道ばたで知らないお兄さんがどこかの家のインターフォンを押して、キンキン声の主婦らしき人物とこんな会話をしていた。
「お忙しいところすみませーん、私、●●の●●と申しましてー!」
「はぁ?!」
「あ、いや、あの、●●と申しましてー!」
「知らないわよ!! うちは家庭教師はいらないの! お断りしてます!」
そして受話器を降ろす音が聞こえた。
ガチャリと。
お兄さんは無言でそのままどこかへ行ってしまった。
私は悲しかった。
この光景を見て、すごく悲しくなった。
まぁ確かに、この手の勧誘は鬱陶しいものさ。
でもそこまで冷たくすることないじゃないか。
なんなんだこの母親は。
どうしたらそこまで無情になれるのだ。
人として最低限の礼節すら知らんのか。
最低だ、こんな奴は最低だ。
……と思っていたのだが、そのまま家に向かって歩いている間に、少し考えが変わってきた。
よく考えたら、このお母さんも今はたまたま機嫌が悪かっただけかもしれないし。
この一件を持って、このお母さんの全人格まで否定するのは早とちり過ぎだろうと思ってきた。
そしてそこから派生して、徐々に自分の内面に対する考察が深まってきた。
というわけで本エントリーではそれについて記すことにする。
私は最近、以下のようなエントリーを書いた。
「鬼から電話」という児童虐待アプリについて
http://dshocker.hatenablog.com/entry/2013/10/28/200930
http://dshocker.hatenablog.com/entry/2013/10/29/095317
どちらも、短絡的な育児を行う親達を批判する内容だ。
言っていること自体は、今でも間違っていたとは思わない。
ただ、少し感情的になりすぎたと反省している。
私は昔から、いつもそうだった。
このような「至っていない親」を見ると、どうしても熱くなってしまうのだ。
自分では抑えているつもりでも、全く抑えきれてないことが多々あった。
今回だってそうだ。
上記2エントリーは共に、これでもかなり抑えて表現したつもりだった。
しかし、はてブコメントで「悪意がある」とまで評されてしまった。
まいった。
いやまぁそこまでスゲーショックだったとかではないけど、「またやっちゃったな」くらいは思った
私は
最初に紹介した「勧誘に冷たく対応する主婦」についても、見た直後は凄まじい憎しみを感じた。
こんな奴は人間じゃないくらいに思ってしまった。
私がこのような親達を憎んでしまう原因は、なんとなく思い当たる。
多分、恐れているのだと思う。
いや、これも買い物の帰りにふと思いついただけなので、もしかしたら違うかもしれないけど、でも多分合ってる。
怖いのだ。
私は彼らが恐ろしくて仕方ないのだ。
その原因もなんとなく浮かぶ。
よくある話だが、幼少期の経験という奴だろう。
私の母はその昔、少々ヒステリックだった。
最終的にはいつも理性的な会話ができる人物ではあるが、どうしても瞬間的にヒステリーになることがあった。
今になって考えてみれば、母は個人診療所を経営している経営者なので、当時はまだ事業を始めたばかりで、心にあまり余裕も無かったのだろう。
それは仕方の無い事だ。
だが、幼い頃の私には、そこまでの背景を想像することは出来なかった。
だから、とにかく怖いという記憶だけが植え付けられた。
私はきっと
未だにこの亡霊に取り憑かれているのだろう。
だから当時を思い起こさせられると、感情的になってしまう。
熱くなってしまう。
そうなると、分別がつかない憎しみを抱いてしまう。
そういうことなのだろう。
あぁ、これ書いててやっぱり、絶対そうだと確信してきた。
だって未だに「母上が話を聞いてくれない夢」見るやんオレ!
どんだけトラウマになってるねん!
やめよう。
こういう自分はあまり好きじゃない。
もうやめよう。
誰も幸せにならない。
って思ったワズ。
とかいって、そんなすぐには人間変わらないかもしれないけどね。
でもまぁ、少なくともこれからは、同じような状況になったら今よりもう少しは自制心をもてるように意識しよう。
と思ったナウ。
以上、とくに落ちはありません。
私の個人的な、思いと記憶と感情の標なのであります。